ディレクターの失敗とちょっとの成功

今だから言える。ディレクターの失敗事例から見えてくる自虐系ネタ集。

社長になることが目標だった僕が陥ったミス

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昔よくテレビを見ながら、母親のさちこさんはよくこんな事を言っていた「あら、これ年々か前にお父さんが言ってたあれじゃない、やっぱり商品化のニーズあったのね」こんな事をよく聞いていた僕は、それができる現場にいない父親のことを漠然と少し寂しく感じていた。「そんな素敵なアイデアが浮かぶのなら仕事にすればいいのにな」と。

自分の企画が世に出る嬉しさ

IT業界(当時はマルチメディア業界)に入った僕は、自分の企画が現実となって世に出て行くことの喜びを感じていた。もう楽しくて楽しくて仕方がないって感じ。僕が求めていた「やりたいことを仕事にする」を達成できた気分でいっぱいだった。

チャレンジ1回目

企画をガンガン立案する中、テクノロジーやインフラの制限で、自分の思っている企画が現実化できないことにイライラしていた。こんなことやりたい・・・「それできない」と開発サイドから言われる の連続である。ちょっとづつIT業界に限界を感じていったと同時に、自分の力を他で試して見たい欲求にもかられ始める。

いわゆる「できるようになってる俺!勘違い症候群」(と僕は呼んでいます)というやつです。学生時代からイベントごとが好きだった僕はクライアント先からのお話を受ける形でイベント企画会社に転職した。

チャレンジ2回目

イベント業界に転職した僕は、イベントの業務をキャッチアップしていく。その時の上司Mさんの言ってくれたことは今でも忘れない。


「ものづくりはメディアが変わっても根っこは変わらないからすぐできるはずだよ」

 

その言葉を信じ少しずつイベントのイロハもわかるようになり、ギリギリ企画書をかけるぐらいにはなった。イベントだけでは会社に貢献できないのでIT業界の仕事もこなし、4桁ぐらいは稼げるようになっていた。

そのぐらいの時期に投資家の友人から天使なのか悪魔なのか今となってはわからない提案があった。

「今お前にはお金が集まっているのだから独立した方が良い。今しかないぞ、今しか。」
いつかは独立しようと思っていたが、もう数年は後だと思っていた。しかし「今しかない」という言葉があたまから離れることはなかった。半年悩んだ結果、会社を立ち上げることに決めた(何をやるのかも)。

 

今までの原動力に気づく

今と違って資金調達しないと会社を作れなかった時代だから1サラリーマンの僕としては「やったった感」を満喫していた。

しかし2年目ぐらいから、やりたかったことができていないジレンマにかられ始めた。独立してから気づいたんだけれど、僕の原動力は「いつか見てろよ。見返してやる」だったんだなと。

次の勝負相手を見つけようとすらしなかったので、モチベーションが上がらずどんどん空回りしていってしまう。社長なのに会社に行きたくなくなったw。

「浮き沈みが激しい→食べる為の仕事を作る」のあるあるパターン。メンバーの顔見ると当たり前だけど自分より優先させるべき相手だから正直辛かったんだと思う。(なので今いる会社の「フロー型ビジネス」を「ストック型ビジネス」へ転換させるというキーワードにはえらく共感しているわけです)この時僕は30歳。今考えるとやばすぎる。

最後に

「見返すためにいつかは独立」で突き進んできた。
日本一の企画屋集団を作りたくて独立した。

消費者が意識しないところで実は役立っている企業を創ろうと思った。

 

足りなかったものはなんだったのか?おそらく、揺るぎない理念とか哲学なんだなと改めて実感しています。「何の為に生きてくのか?」に向き合うことから自然に避けていたのかもしれないなと最近は強く思う。

 

今はもうそれが見えている。怖いものはないのだ。

今所属している会社に入ってそう思った。

 

世の中の名だたる経営者の方々は最終的には「家族の為に生きるべき」と言っているのをよく聞く。それが最終形だとしたら、その為の「手段として好きな仕事を200%のパワーでやる」としても良いのかなとやっと思えるようになっています。

 

おしまい。